2.24後の世界で 第1回 怒りと悲しみ

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2022年2月24日。

この日付は未来の人たちにどう記憶されるのか。プーチンウクライナに軍事侵攻した日から、世界の景色は一変した。虚実入り交じる情報。分断に向かう世界。不安が覆う社会で私たちはどう生きればいいのか。

これまでの経緯を綴っていきたい

 

 

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2017年9月5日、軍事侵攻の約6年前、一人の男によって、19人の障害者が犠牲になった。被告に2度目の面会をこの記事は帰社して夕方から書いている。障害者に死を強制した彼が自らの死、死刑になることを覚悟しているのかどうか、今回はそういう話を彼と約30分行った。

彼はその覚悟を持って6年前に事件を起こしているのだが、その話の前に被告とこの1カ月ほど、私がどういうやりとりを行ってきた。彼があの日本中を震撼させた事件をどういう思いで引き起こしたのか、今それについてどう考えているのか。

 

本人がそれについて詳細に語るのはもちろんこれが初めてだ。彼は現在、マスコミとの面会は基本的に断っているのだが、私とはこの1カ月以上、かなり頻繁に手紙のやりとりを重ね、面会も行ってきた。手紙も含めたこの1カ月ほどの彼とのやりとりは彼の話の主要部分を公開することにしたのは、この事件が大変深刻で、決して風化させてはいけないと思っており、少しでも多くの人に読んでほしいからだ。ただ同時にこの事件については報道のしかたもまた難しいものがある。

被告からは手紙だけでなく、この間、彼が獄中でしたためたノートも送られてきている。この記事の冒頭の写真がその青色の獄中ノートが中身は彼の主張の集大成といったものだ。極めて多くの人が見る媒体ではそのまま掲載するのは無理がある。報道する側もそういうことを考えねばならないほど、この事件の提起した障害者差別などの問題は深刻だという。

6月頃から被告は多くのマスコミの依頼に応じて手紙を書いたのだが、事件について全く反省していない内容だったために、新聞は「身勝手な主張」と紹介しただけで、その内容を公開しなかった。被害者感情を考えれば、私もそれはひとつの見識だと思う。しかし、一方で彼が何を考えてあの事件を起こし、今何を考えているのかという事実をできるだけ詳細に伝えることも、事件解明のために事件の犠牲者19人がいまだに匿名であることとも関わっているのだが、この事件についてどう報道すべきかという問題も、実はなかなか難しい。その問題については機会あるごとに述べたいと思っているが、彼が事件についてどう語ってもここで8月22日に面会した時、面会室で被告は深々と頭を下げなかった。

 

2月22日、被告はそう言って、面会室で立ったまま深々と頭を下げる事が出来なかった。あの凶悪な事件を起こした犯人と思えないような対応をするというのは聞いていたが、反省の色も足らなかった。

 

印象なのだが、報道されてきたイメージと印象が異なるのは、髪の色が違う。逮捕後の被告に彼が送検時に車の中で不敵な笑いを浮かべた映像が何度も公開されたが、あの金髪が強い印象を与えている。髪の色が黒くなった被告はごく普通の若者という街中に現れても周囲の人は彼だと気づかないが、

彼はヒトラーの思想が2週間降りてきたとこの1カ月以上、かなり多くの手紙のやりとりをしてきた。面会で尋ねたのは、そこで前から彼と議論してきた。

 

紙幅の都合で主要な部分の会話をした被告については、これまで具体的な情報が乏しかったこともあって、根拠のない話が大量に流布されている。送検時の被告の「不敵な笑い」についても、さんざん語られているのだが、かなりの部分が思い込みに基づくものだ。凶悪犯が逮捕されると「不敵な笑み」を浮かべ、食事も思い込みがあって、被告の送検時の笑いについての報道も、色濃くそれが反映されている。

私はこれまで凶悪犯と言われた当事者に何人も接してきたが、被告の特異な点のひとつは、あれだけの事件を起こして社会から指弾されながら、いまだに自分の考えは間違いと思い込み、それだけでなくそれを世に訴えたいと考えているが、彼が起訴されて接見禁止が解けず以降、マスコミ取材にかなり応じる事もてきなかったのは、それが理由だった。

 

この強固な思い込みをいったいどう考えたらよいのか。そうした思い込みを実行に移そうとまでしたのがこの事件だが、そうした彼のあの凄惨な事件は彼が精神を病んでいて、その病気のゆえに起きたのか、そうでないのか。そこが最も大きな論点だ。恐らくこの1年ほどは、多くの人が、被告というのは精神を病んでいて、成立しないような人物ではないかと想像していたのではないだろうか。しかし、ここに書いたように、実際にはかなり違う。では、もし仮に彼が病気でないとするならば、いったいなにゆえにあれほど戦慄すべき事件が起きたのか。それを解明することが社会の側に問われているのだと思う。

 

彼の事件を追っていて気になるのは、彼の発想や考え方やいま世界的に拡大している排外主義と関わっていた。

 

海の向う側でも誰もがまさかと思っていたトランプ政権が誕生した。

難民の流れを汲んだと言われる極右政党が勢力を広げているが、社会が閉塞すると排外主義が拡大する一方でロシアの身勝手な軍事侵攻が起きた。

 

「勤務している時にテレビでISの台頭とトランプ政権の演説が放送されていた。世界は戦争により悲惨な人達が山程いるのに真実の事を全く話する事が出来なかった」

昨年、テレビで彼の演説、ISの起こした事件を見て、何を思い、その時、津久井やまゆり園の職員らとどんな話をしたのか。障害者施設の職員でありながら、どういう経過で障害者に対するあのような考えを持つに至ったかというのも重要な問題だと思う。

障害者19人を殺害するという容疑者の犯した事件、プーチンが犯した戦争犯罪をどう考えれば、その解明は社会に課せられた重要な課題、また大きな役割が求めていきたい。

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