2.24後の世界で 第5回 呪われたオリンピック 後編


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冬季五輪・パラリンピック招致を目指していた札幌市が、招致活動を「停止する」方針であることが13日、分かった。19日に行われる日本オリンピック委員会JOC)や関係自治体らと意見交換会の場で表明する。

 

市は当初2030年大会を目指していたが、東京大会の汚職・談合事件などの影響で市民理解が進まなかったことから、断念した。34年以降に切り替える方針だったが、国際オリンピック委員会IOC)が30、34年の2大会の候補地を絞り込んだことで、開催は実現できなかった。

さらに、38年大会についてローザンヌを優先的にすることを発表。同年の招致も厳しい見通しとなった。

こうした状況を受け、市議会で「立ち止まって考える必要がある」と言及した。「『撤退』などとすると、今後一切五輪をやらないように受け取られる可能性もある」として、将来的な開催の可能性が厳しい為に「停止」が適切だと判断した。

 

今回の汚職、談合で再来年の東京世界陸上と2026年の愛知アジア競技大会も中止しなければならないのだ

 

2.24後の世界で 第5回 呪われたオリンピック 中編


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2022年2月24日。

この日付は未来の人たちにどう記憶されるのか。

プーチンウクライナに軍事侵攻した日から、世界の景色は一変した。虚実入り交じる情報。分断に向かう世界。不安が覆う社会で私たちはどう生きれば良いのか。

これまでの経緯を綴っていきたい。

 


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東京五輪パラリンピック大会組織委員会元理事の逮捕で発覚した汚職事件で札幌市が目指していた冬季大会招致にも影を落とした。2038年大会も絶望的となり、同市は招致活動を停止する。関係者は「汚職事件が転機になった」と漏らす。

 

 同市はかねてより30年大会の招致を目指しており、市民を対象とした22年3月の意向調査で過半数の支持を得た。国際大会の運営能力に定評があり、一時はソルトレークシティー(米国)などのライバルを抑え、最有力候補との見方もあった。

 

しかし同年夏以降、汚職事件と組織委元次長らによる談合事件が相次ぎ発覚。それまでも経費増大や新型コロナウイルス禍での開催が不信感を招いていた。

転機は事件。札幌でも再発するんじゃないかとの懸念が市民に広がった。

国際オリンピック委員会IOC)は候補地選定で地元住民の支持を重視しており、手痛い打撃となった。

札幌市と日本オリンピック委員会JOC)は22年12月、体制見直しの為、今年10月には市民の理解を得られないとして34年以降の招致に切り替えた。しかし11月、開催候補地を30年にアルベールビル、34年にソルトレークシティー、38年はローザンヌに絞り、札幌市は事実上、招致レースから締め出された。

大会のプラス面を市民にアピールしたかったが、事件の影響でマイナス面の解消に力を注がざるを得なくなり、思い描いていた招致活動ができなくなるからだ

 

 

 

2.24後の世界で 第5回 呪われたオリンピック 前編


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2022年2月24日。

この日付は未来の人たちにどう記憶されるのか。プーチンウクライナに軍事侵攻した日から、世界の景色は一変した。虚実入り交じる情報。分断に向かう世界。不安が覆う社会で私たちはどう生きれば良いのか。

 

これまでの経緯を綴っていきたい。

 

 

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11月29日、札幌市と日本オリンピック委員会(以下、JOC)は都内で会見を開き、2030年の冬季オリンピックパラリンピックの招致を断念することを発表した。同団体からは34年大会以降の誘致も絶望敵となる

会見内で「かなり招致実現のチャンスがあった」と振り返るように、一時は最有力候補ともいわれていた札幌開催。だが、JOC会長は「市民の理解が進んでいない。30年大会ありきで拙速に招致を進める事も好ましくない」と開催を断念した理由を述べた。

市民の理解が進んでいない理由として、

2018年の北海道胆振東部地震、2020年の新型コロナウイルスの感染拡大、2021年の東京五輪での汚職事件や大会運営費が増大した。さらに、34年以降の招致も「かなり厳しい状況」との認識を示した。

市民理解が進んでいない”事を象徴するように、

会見後、誘致の是非を問う住民投票を要請する市民団体が署名活動の継続を発表。しかし、札幌市は34年大会の開催地候補が絞り込まれる11月末まで住民投票を行わない方針であることを表明しても批判の声が上がっている

札幌市のある北海道に住む人を対象にアンケートを実施。アンケートにて20代から70代の男女500人に「2034年以降の札幌市での冬季五輪招致に賛成か、反対か」と質問し、賛否を聞いた。

結果は、賛成が34.18% 反対が65.82%と反対派が多数となった。

反対派から最も多く寄せられたのは「オリンピック以外の事に税金を使って欲しい」という意見。

札幌には「パートナーシップ排雪制度」と称する、市と町内会が除排雪費用を分担して行う制度がある一方で今回のウクライナ危機とガザ地区の戦火の影響下の穀物の停止で燃料費や人件費の高騰で市民負担も増加している。

《オリンピックにかける金より、新型コロナウイルス過での医療従事者の支援、札幌市民の暮らしの向上、パレスティナウクライナ人道支援東日本大震災の復興支援に使う。除排雪費用も市民の負担なしにするべき》
《札幌ドームの行く末も分からないのに、税金を投入し何をするのか?冬の除雪問題の方が喫緊の課題である》
《招致をしても説明が足りない。除雪の税金がオリンピック招致に使われてしまうと怒りに覚えている》、先の東京五輪での汚職問題にて、JOCに対する不信感を示す声も多かった。

 

東京五輪の事でオリンピックに対する信頼がなくなった。経済効果より持ち出しの方が多いと思う。市税をオリンピックに使ってもらいたくない》

《対策を充分に検討しても、利権がからみ、汚職による税金の無駄使いが心配》

東京五輪のゴタゴタを見ていると、オリンピックを開催するという事に不信感を感じる、東京オリンピックで行われた不正などに今後の対策を構築してもオリンピックなどの大会を招致しても開催できない》

 

《五輪を開催すれば、たくさんの人が集まって経済活性化に繋がったり新たな人脈を作れる機会になる一方で政治家や関わる企業が汚職しなければいいだけに税金の使い道としておかしい。言い分も理解できない。新たに施設を作るのでは今ある施設を活用して開催できない》

《前提として、東京五輪汚職や疑惑が解明され、同じ事が起こった、このままでは平和や多文化、国際交流を高らかに掲げる物がなくなる事に子どもたちの信頼も失う》

 

そのようなオリンピック開催に関して山積する問題で、地元での開催を反対する声も多かった。

 

《色々な問題があるが自分が生まれ育った土地でオリンピックを生で見れない》

《世界中の人たちに日本や北海道の良さを知って欲しいと思う一方で東京オリンピックの反省も足りないままクリーンな大会になる事もできない》

 

市の抱える問題を適切に認識しつつ、東京大会で失った信頼を取り戻すような透明性のある運用方針を示さないからだ

中編へ続く

 

空襲1945 第3回 アンパンマンの正義論


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B29から雨嵐と降り注ぐ焼夷弾で逃げ惑う人々は街と共に焼き払われた。東京大空襲を初めに全ての本土が爆撃を受けた戦時中のフィルムに残る空襲生々しい傷痕の記憶を後世に伝える

 

 

赤い服を着せられ球場へ。そんな幼子をカープ戦で見かける。野球は分かるはずもないが、真っ赤なほっぺのほころぶ瞬間がある。松山竜平選手の打席。愛嬌(あいきょう)のある、丸顔の強打者はアニメの軽やかなマーチとともに現れる。

♪何のために生まれて 何をして生きるのか…。子どもらが口ずさむアンパンマンの主題歌はそっと、深く問い掛ける。腹ぺこの仲間に自分の顔をちぎって渡す。自己犠牲のヒーローを描いた、やなせたかしさんが亡くなった。

原点は中国での従軍体験。飢えて野草まで食べたという。本当の正義とは。漫画家は戦後、激変した国で考える。たどり着いた答えは、献身と愛。大げさに考えなくていい。ひもじい人に一片のパンを差し出すことという。

小さきものや弱きものに注ぐまなざしは、優しく愛情にあふれていた。ミミズだって オケラだって…。作詞した「手のひらを太陽に」は生命の賛歌。生きている皆が友達だと。悪さする者も受け入れるようにばいきんまんはアンパンチで飛ばされて、星に。でもまた姿を見せる。癌や心臓病などを何度も患いながらも、明るく生きた94年と重なるよう。親子で楽しみを歌い継ぎたい

2.24後の世界で 第4回 アンパンマンの精神


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2022年2月24日。

この日付は未来の人たちにどう記憶されるのか。プーチンウクライナに軍事侵攻した日から、世界の景色は一変した。虚実入り交じる情報。分断に向かう世界。不安が覆う社会で私たちはどう生きれば良いのか。

これまでの経緯を綴っていきたい。

 

 

 

人気漫画「アンパンマン」の著者、やなせたかし氏(享年94)が死去した。先の大戦で中国戦線に出征し、復員後、高知新聞三越宣伝部に勤務。その後、フリーのイラストレーターになり、1973年に絵本の「あんぱんまん」を発表した。この作品が世間にじわじわと浸透し、88年に日本テレビでアニメ「それいけ!アンパンマン」として放映されて爆発的人気を博した。
アンパンマン」の単行本はこれまでに同社から400冊近い作品を出し、総発行部数も7800万部に上る。

 
アンパンマンの文具などのグッズは軽く1000点を超える。人気絶頂だった99年当時「アンパンマンの商品は子供を相手に毎年約400億円を売り上げる」と報じた。

 
「やなせ氏の本の定価も500~2600円。そのうちの10%が印税として彼に支払われいる。通算7800万部だから、印税を100円で計算して78億円。これに使用料が加わり、文具などは2%前後が作者に入る。

年に400億円という、それだけで毎年10億円くらいの収入があった事になる。
 
 3年前のコロナ禍になるまで、アンパンマンを使ったグッズの総売り上げは1兆1000億円と伸びた。著作権使用料を2%で計算した場合で220億円だ。

 

「これに本の印税78億円とテレビ放映料、歌の作詞印税などを加えると全部で400億円になるでしょう」

 

大金を手にしたやなせ氏だが、私生活は地味だった。日本漫画家協会の会長を務め、新宿区片町にある自分の持ちビルに協会の事務局を間借りさせているが、家賃は取っていないといわれる。金持ちでありながら、生涯、贅沢(ぜいたく)はしなかった。

「93年に奥さんに先立たれ、子供も親戚もいない。関係者の間では、遺言で誰かを遺産の受取人に指名しているのか、それとも遺言を残さず遺産が国庫に入ることになるのかが話題になる」


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空襲1945 第2回 戦争の跡

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B29から雨あられと降り注ぐ焼夷弾で逃げ惑う人々は街と共に焼き払われた。東京大空襲を初めに全ての本土が爆撃を受けた戦時中のフィルムに残る空襲生々しい傷痕の記憶を後世に伝える。

 

太平洋戦争末期、日本全土が標的となり、大規模な無差別爆撃が繰り返された。空襲による民間人の死者は少なくとも40万人以上、米軍が本土に投下した爆弾は約16万トンとされる。


広島、長崎と並ぶ大きな被害となったのが、1945(昭和20)年3月10日未明の東京大空襲だ。約300機のB29爆撃機が33万発の焼夷(しょうい)弾を投下。人口密集地帯だった東部の下町は火の海となり、10万人近くが犠牲になった。被害家屋は約27万戸、推計100万人が焼け出されるなどした。

編隊を組んだB29が低空から隙間なく焼夷弾を落として街全体を焼き払う「絨毯爆撃」の始まりだった。

3月12日には名古屋、13日には大阪と大都市が軒並み空襲を受けて壊滅状態に次第に地方都市も標的となり、空襲は全土へと広がっていた。

 

米軍による初めての本土空襲は、日米が開戦した真珠湾攻撃からわずか4カ月後の1942年4月18日にあった「ドーリットル空襲」。空母から飛び立ったB25爆撃機16機が東京、横須賀、川崎、名古屋、神戸などを襲った。その後、米軍は「空の要塞」と呼ばれた、当時としては最大級の爆撃機B29を完成させ、1944年に実戦投入。6月16日、中国・成都の基地を飛び立ったB29が初めて日本本土を爆撃した。北九州の製鉄所を狙って高高度から爆弾を落とし、300人以上が犠牲になった。

 

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米軍は7月、マリアナ諸島サイパン島を日本から奪い、周辺の各島に飛行場の建設を進めた。B29の航続距離は6千キロ。成都からだと九州北部までが限界だったが、東京から約2400キロのサイパンを拠点にすれば、日本全域を攻撃目標にできた。11月から、本土空襲が本格化していった。

 

当初の空襲は、軍需工場や港などの軍事拠点を狙った「精密爆撃」。昼間に、高射砲を避けて1万メートルの高高度から爆弾を落としたが、風で流されるなどして攻撃目標を外れることが多く、目立った戦果は挙げられなかった。


1月、欧州戦線でドイツの都市への爆撃を指揮した少将がマリアナ諸島を基地とする第21爆撃機軍団の司令官になる。早期終戦を目的に、日本の厭戦(えんせん)気分を高めるため都市への焼夷弾攻撃を求める軍上層部の意向を受けて着々と準備を進めていった。そして、3月10日の東京大空襲をきっかけに、民間人を巻き込む「無差別爆撃」が繰り返されるようになった。硫黄島や沖縄の占領後は戦闘機による銃爆撃も始まり、空襲は、北海道を含む全土が対象になっていった。このうち、広島と長崎の原爆を除く通常爆弾や焼夷弾、銃撃による空襲の死者は20万人を超えるという。ただ、正確な数字を把握している自治体は少なく、国による実態調査も不十分なため、全容はいまだ明らかになっていない。

 

軍事評論家の前田哲男さん(80)は6歳の頃、現在の北九州市戸畑区に住み、空襲を体験した。夜に警戒警報が鳴り、家族と庭に掘った防空壕(ごう)に飛び込んだ。外を見ると、製鉄所が狙われているのだろうか、探照灯の光が夜空を切り裂き、高射砲の音が聞こえた。「B29だ」。防空壕の湿った土の臭いとともに記憶に残る。

長崎の民放記者を経て、核問題への関心を深めた。マーシャル諸島の核実験場を取材。その後、著した「戦略爆撃の思想」では、空からの無差別大量殺戮(さつりく)という視点にこだわった。

 

スペイン内戦に介入したナチスによる1937年のゲルニカの爆撃、38年に中国・国民党政府の臨時首都・重慶を狙った爆撃を、東京大空襲につながる都市への無差別爆撃の先例と位置づけた。特に重慶爆撃、終戦以降の48年の朝鮮戦争中東戦争ベトナム戦争まで続き、200回以上の空襲で約1万2千人が犠牲になった。

 

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「都市そのものを爆撃対象とみなし、戦闘員と非戦闘員の境界を取り払った戦略爆撃の思想を確固たるものにしたのが日本軍で、その戦術を進化させたのが米軍だった」。ボタン一つで爆弾を落とせる空からの攻撃は、肉体と肉体のぶつかり合いを伴わない分、人を殺したという実感がわきにくい。爆弾を落とされた側への想像力の欠如が、行為をエスカレートさせた。

 

焼夷弾による絨毯爆撃は、やがて原子力爆弾の投下へとつながる。そして今、無人機によって兵士は画面越しに爆弾を落とすようになり、戦争はより無機質なものへと変容した。無差別爆撃の負の連鎖は戦後70年余を経ても止まらなかった。

 

2.24後の世界で 第3回 侵攻から半年

 

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2022年2月24日。

この日付は未来の人たちにどう記憶されるのか。プーチンウクライナに軍事侵攻した日から、世界の景色は一変した。虚実入り交じる情報。分断に向かう世界。不安が覆う社会で私たちはどう生きればいいのか。

これまでの経緯を綴っていきたい。

 

 

ロシアがウクライナで行っている戦争を公然と批判したロシア空挺部隊の元隊員が取材に応じ、ウクライナ侵攻を正当化するロシア側の主張は「何もかも嘘」だと訴えた。

パベル・フィラティエフさん(33)は2週間前、ウクライナでの戦争を批判する長文の証言をその後ロシアを離れた。ウクライナ侵攻を公然と批判して出国した現役のロシア兵は今回が初めてだった。身の安全のため、取材場所は明らかにしていない。

取材に応じたフィラティエフさんは、仲間のロシア兵たちは疲労し、飢え、幻滅していると証言。ロシアの戦争は「平和な生活を破壊している」と語り、「私たちは、単純に街を破壊するだけで実際には誰も解放していない衝突に自分たちが引きずり込まれたことに気づいた」と話した。

 


「自分たちの政府が私たちに説明しようとしている理由が見当たらないことに、私たちの多くが気づいた。何もかも嘘だったと」「私たちはただ、平和な生活を破壊している。この事実は私たちの士気に重大な影響を与えた。私たちは何ひとついいことをしていないと感じた」

母国では腐敗と抑圧が蔓延(まんえん)しているとフィラティエフさんは訴える。クリミア半島に駐留していた同氏の部隊は衝突が始まって間もなく、ウクライナヘルソン州に派遣されたが、装備は不十分でロシア軍の侵攻理由に関する説明はほとんどなかったと振り返った。

兵士も司令官もウクライナで自分たちが何をすべきか知らなかったとフィラティエフさんは言う。ヘルソンに到着し、「解放」を望んでいない地元住民の抵抗に遭ったことで、ロシアの身勝手な侵攻理由に幻滅したと言い添えた。

フィラティエフさんの部隊は南部の港湾都市ミコライウ制圧を目指す作戦にも関与したが、負傷して第一線を退いた。

 

自分が戦闘の最前線にいた当時、ロシア軍には基本的な装備も、ドローンなどの無人機もなかったと話し、「兵舎はおよそ100年前の古いもので、兵士全員は収容できない。私たちの兵器は全てアフガニスタン時代のものだ」と指摘した。

「ヘルソンを包囲してから数日たつと、私たちの多くは食料も水も寝袋もなくなった」「夜はとても寒かったので眠ることさえできなかった。私たちはごみやボロ布を見つけ、体に巻いて暖を取った」

ヘルソン制圧はロシア軍にとって悪い結果だった。ウクライナは今、同市の奪還を目指して南部で戦闘を激化させている。

 

プーチンが何を考えているのか分からないとフィラティエフさんは言う。「国外に出て、銃を持たなくなった今、これは自分たちの政府がやり得る限りで最悪かつ最も愚かなことだと私は思う」「政府が私たちをどこへ導いているのか分からない。次はどうなるのか? 核戦争か?」

「私の国に起きていることを見ると恐怖に駆られる。何もかも破壊され、腐敗している」「唯一機能しているのは抑圧的な法律だけだ」

フィラティエフさんはある程度のメディア取材に応じた後に出国したが、自分の発言をめぐって政府に報復されるかもしれないと予想してこう語った。

「私は刑務所に入れられるか、あるいは彼らが私を排除して黙らせるかのどちらかだろう。過去にそうしたケースはたくさんあった」

「ほかに脱出する道は見えなくなる」

 

 

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